だから何
朝起きて、部屋を掃除して、お料理を作って食べる。お皿を洗って、次の食事の材料の買い出しに行く。お風呂に入って、眠る。
生活。人間の生活とは衣食住の基盤をしっかりともつべきだ。睡眠の質、料理の材料の質、個人的感情のレベルの質。
しかしどうせ人間はいつか死ぬ。人生が死ぬまでの暇つぶしだとしたら、
一体眠ることや食べることや日々の心の持ち方に細心の注意を払い、自分の体のコンディションや他人との関わりあいをベストに保つことに気を配って生きていくのがなんだっていうのだろう。
ときどきこんなふうにどうしょうもなく空々しい気分になるときがある。よしもとばななさん曰く、「赤ちゃんとたわむれているとき、これこそが人生だと思えてくる。家に明かりをつけて愛する人とごはんを食べて、人間を幸せにするのはやっぱり人間なのだと思う。」
幸せは同時に虚無感をはこぶのかな。赤ちゃんのいる日々は幸せ。でも何故人生で必要不可欠なあらゆることが空々しく感じたりするのだろう。それは近所の大型書店に並んでいる数々の書物がおしえてくれる気がするのだけれども。
騒騒しいテレビやら気取った映画やらより、本にはあらゆる疑問への返答がほとんど書かれている。本を読む暇すらないとさらに毎日の生活で疑問ばかりが増えていく。まるで管理することをやめた秋の公園の落ち葉や除雪することをやめた雪国の山の雪みたいに。
育児で疲れてイライラしてもう救いがないと感じるとき、自分が山ほど抱えている幸福を全て忘れ日々の生活全てを否定的にとらえてしまう。なんという人生の無駄な期間だろう。あれほど生きることが楽しい未来が楽しみだと思える時期がうそみたい。
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コメント
ヤマト・ママさん
こんばんは、
またまたお邪魔しています。
ちょっと見過ごせなかったので・・・。
ヤマトさん、かなり来てますねー
大丈夫です!経験者は語ります(男女の差はあれ)
今の状況がこのまま永遠に続くことは、まったくありません。
たいへんなのは、半年です!
また、私 つくづく思うのです。
独身者はどんなに頑張っても既婚者の気持ちが解からず、
子供の居ない人に、母親の気持は解からず
親と一緒に住んでいない人には、そのまた気持ちが解からず
親が生きている人には、死んだ家族の気持が、解からないのです。
だから、今のヤマトさんの気持は、誰も彼もが解かるわけではない。
但し、こどもが出来て初めて親に成らせてもらうのです。
いまのその子供に、未熟でも親に成らせてもらったのです。
また、親に成って、初めて親の気持が「ちょっと」解かるのです。
でも、あっ”!というまに、子供は直ぐ大きくなります。
私の子供は、つい昨日生まれたかと思ったら、今じゃ生意気に18歳で、彼氏と暮らしています。
つい、昨日生まれた子ですよ?
親なんて、そういうものです。
でも、今じゃ、一緒に中国や沖縄につれ回しています。
今の状態はほんの一時です。
それを、楽しんで!
辛いことも、楽しんで!
人間はそうやって幅を広げ、根を広げていくのです。
そして、土の中も、空に向かって広げる枝も含めて、それ全部がヤマトさんになるのです。
今の内に、根を広く、深く、張って下さい。
そして、魅力的な心身ともに魅力的なヤマトさんになってください。
では、では
大そうなことを言ってしまいました、失礼
投稿: rock-c | 2010年12月 4日 (土) 00時02分
rock-cさん、こんにちは
貴重なコメントをどうもありがとうございます。
何度も読ませていただきました。
「大変なのは半年」に随分救われました
珠子が親にしてくれたんですよね。
自分が親になるなんて想像もできなかったけど、
珠子が逃げも隠れもさせてくれませんでした。
数年前に父を亡くしましたが、それ以来、
「親、または身近な人間は、確実にいつか、もしかしたらすごく近いうちに死ぬ」
っていうのも、いつもアタマの片隅にあります。
だからヒトには悔いのないように接していこうって思っています。
今つくづく感じるのは、
ここまで苦労(苦労と一言で片づけられないほどの苦労)して育てた人間に、
十数年後(反抗期くらいに)、あそこまで生意気な言葉を毎日毎日投げられて、
よく大丈夫だったなー父も母も・・・と。
それも「親の偉大さ」なのか。
本当ダメな状態(いろんな意味で)になるまでは、
逃げずにとことん「育児」と向き合おう、って思っています。
そうしないと、とにかくそうしないと!
という、もう匍匐前進で前進してるみたいなギリギリの状態なんですけど本当に。
それを乗り越えた向こうは、なんかとても綺麗で素晴らしいんじゃないかと。
まあまたいろいろと問題は浮上してくるのであろうけれど
とにかく毎日、出来ることを一つ一つ丁寧にこなしていく、こなすんだ
投稿: ヤマト | 2010年12月 4日 (土) 17時40分
会社の上司は、「ぼくなんか生きてもあと20年かそこらだから、好きなもの食べることにしたんだ~」と、昼休み 近隣の美味しいもの探して巡っていた。甘党で、私たちにも差し入れしてくれた。なぜか、最近、その言葉を思い出し救われる気になるときがある。 育児は正直、色々な事があって大変。でも、大変って思えることは、逆に、さらに良くしたいって事の裏返しだと最近は思える。嫌だ大変だって、逃げたいんじゃなくて、より良くしたいって思ってるからこそ。…と思うんです。他人にイヤなこと言われて迷った時も、嫌だと思う事こそ、向上心がまだあるのだと思うんです。
投稿: す | 2011年2月28日 (月) 15時04分
す さん、コメントどうもありがとうございました。
なんていうか、その上司さんは、ココロが豊かなのでしょうね。
ココロに余裕があると、健康オタクになって食べ物制限して
そうしてピリピリするのやめたり、
他人になにかをあげようってあったかい気持ちになったり、
本当に余裕を持って生きるとは大事ですよな。
より良くしたい・・・前向きな思考ですよね。
本当に、いつもそんな気持ちでいれたらなあって思う。
でもつい後ろ向きな気持ちになってココロが荒れるのは、
なんというか、キャパが狭いのだと思う。
向上心が無くなるのも、逃げたがってしまうのも。
人としてのキャパシティを広げたい、難しいけど広げたい!
投稿: ヤマト | 2011年3月 1日 (火) 18時04分